毒親でよかったこと
インコさんと暮らして56日
仕事が休みで、外出する予定がない日は、
インコさんの放鳥し放題になる。
と言っても、ずっと、ケージの外、部屋の中にいるのではない。
ケージに戻って、エサを食べる。
しばらくすると、出せ出せアピール、ケージの柵をガジガジ音を立て始める。
そこで、また、放鳥する。
30分から、長くても1時間すれば、
ケージの入り口をずっと開けておくだけで、
飼い主が何もしなくても、ケージに入っていく。
躾けたとは、とても言えないけれど、
こんな感じの繰り返しで、落ち着いた。
飼い始めた頃は、放鳥もしていなかったし、
スプーンでふやかした粟をあげていたから、
この変化がとても嬉しい。
昨日の日記まで、毒親の後遺症を思いついたけれど、毒親でよかったこともあったことに気づいた。
その一つは、変化を喜べること。
会社に、半世紀以上の年齢の社員がいる。その人の口ぐせは、「私が新卒の時はパソコンはなかった」。
この年代だと、PCを使いこなせるかは、
人によってまちまち、レベルが異なる。
この人は、使いこなせない方。
新しいアプリケーションが導入されると、なぜかこの人にだけ、問題が起こり続け、ITの担当者をほぼ独占する。
他の人が皆んなが慣れても、一人だけ、いつまでたっても使いこなせず、仕事が遅れて、周りに迷惑をかける。
驚くのは、本人は、全く自分が悪いとは思っていないこと。
「遅れた自分が悪いのではなく、アプリケーションがおかしい、マニュアルがおかしい」と
言って、周囲がサポートするのが当然と思っている。
聞けば、「子供の頃から、親に大切に育てられ、毒親なんてとんでもない」
という、自分からすれば、夢みたいな環境だったらしい。
でも、羨ましいとは思わない。
誰かがいつもサポートしてくれる、恵まれた環境が当たり前だと、そうでない環境になった時、適応するのが難しいから。
飼い鳥のインコさんを、外で放鳥したら、
まず、ここに帰ってこれないだろう。外からこの家の建物を見たことないし。
一羽でフラフラしている内に、
カラスや野良猫のエサになってしまって、
外の環境には、とても適応できないだろう。
人間だって、回らない寿司店の常連だった子供が、大人になって回転寿司店にしか行けなくなったら、寿司を楽しめるだろうか?
毒親に育てられると、他人にサポートされることが、たとえ仕事であったとしても、嬉しく思える。
そこにつけ込まれていいように利用されてしまう危険もある。
でも、それは、たくさん経験を積めば、自然と人を見る目が培われていく。
その変化は、自分の成長だから、とても嬉しい。
毒親育ちでも、生きていてよかったこと
はある。
