感情の手放し
2025年02月24日
インコさんと別れて7日。
人の場合には、故人が亡くなって初七日の法要がある。
故人の安らかな旅立ちを祈るための法要だから、悲しみというより、亡くなったことを受け止めてから行う供養。
今日は、家具を動かして、部屋の掃除をした。
すると、家具の後から、インコさんの小さな綿毛がたくさんでてきた。
ふわふわして掴みにくいけれど、ひとつひとつ手にとって、ティッシュに乗せて、集める。
インコさんの旅立ちを祈って、手放していく。
悲しみも、辛さも一緒に乗せていく。
この一週間、インコさんとの別れを思っていたから、死ぬことが身近になった。
飼い主だって、いつ死ぬかわからない。
それは、怖いというより、ただの事実。
今日が終われば、明日が来るのと同じで、
何の感情もはさめないほど、当たり前のこと。
飼い主の残り時間はどのくらいなのか、
わからない。
一方で、飼い主が今生きているのも、事実。
明日死ぬかもしれないなら、せっかくの今生きている時間を、大切に過ごさなければもったいない。
もう、離れてしまった毒親も、
陰湿なイジメをした輩も、
何年経っても、思い出されてしまうと、
今の楽しいこと、将来のことを真剣に考える
キャパがなくなってしまう。
今度、思い出されたら、
「手放します。さよなら」と、
言ってみよう。
インコさんのことを考えながら、自分の気持ち、考えに向き合えた。
「何だろう」
「自分が一番、自分を受け止められるので場合ない?」
夕方、初対面の人に会った。
初対面の人とは上手く話せないことが多かったけれど、今日は、スムーズに話せた。
