家族という重荷

2024年11月14日

インコさんと暮らして10日。

給餌する粟のエサが残り少なくなった。

食べる量は、あっという間の一口になった。


ケージの中には、止まり木が2本あって、

高さを変え、間を空けている。


来た頃は、高い止まり木には行けなかったけれど、今は、羽ばたき2回で飛び渡る。

成長したのが嬉しい。


私に勝手に選ばれて、運ばれてきたインコさんには、初めから、怯えた様子はなかったけれど、これからずっと、おそらく死ぬまで一緒にいる覚悟はあるのかな?


きっとないと思う。

将来を憂うのは、人間だけだから。


私の親も家族も、好きで選んでいない。だから、嫌いになることもある。

でも、もし、家族を嫌いになったら、嫌いな人間と切れそうにない一生の縁があるのは、

苦痛でしかない。


とは言っても、子供は家族に依存しないと生きていけないから、依存の対象を嫌いになるなんて、できない。

そんな嫌いな人に依存して生きる自分は、何なのか、自己否定になりかねないから。


だから、家族に嫌なことをされても、嫌いになりかけても、それは、好きな人がすることだと、無意識に思い込んで、自分を納得させたのではないかな?


そんな幼児体験があると、他人に軽くあしらわれても、モラルハラスメントされても、それが、かつての家族にされていたことと同じなら、無意識のうちに、それを愛情表現と思いこんでいたのかもしれない。


こんな潜在意識の奥底に刻まれた思い込みがあったら、人間関係が上手くいくはずないね。

今ならわかる。

ありがとうインコさん。