言葉を知る期待
ルチーノのセキセイインコをお迎えした訳
私は、毒親に育てられた、社会人歴20年以上のいい大人です。
都内在住の会社員ですが、新卒で入った会社を4年で退職してから、外資系企業に転職、転職は5回以上。
以前勤めていた会社のほとんどが、もう日本から撤退しているという現実、外資は厳しい。
親会社は、米国、フランス、中国と、バラエティーに富んでいます。
今の会社に入る前は、社員は、日本人が一番 多いのが相場でした。しかし、今の会社は、30代までは、ほぼ外国人。50代以上は、逆にほぼ日本人。
日本にいても、外国人とコミュニケーションを取らなければなりません。
同じ日本人でも、年代が異なると、コミュニケーションは、取りにくくなるもの。
それが、外国の人なら、もっともっと大変になります。日本語や英語をいくら使っても、分かり合えないことも。
そこで、蘇るのが、自分が毒親に育てられたこと。親との会話が、親の命令、親からのダメ出し、親の苛立ちの八つ当たりであったこと。
つまり、会話を楽しむことなどほど遠く、会話は、避けたいことだったわけです。
また、思い出されるのは、親に自閉症となじられたこと。病院にいかなかったら、診断はつかなかったけど、その辛さは、ひょつとしたら、同じかも。
学校でも一緒にいて楽しかった友人は、元々少ない上、その楽しみも長続きせず、1年たたずに突然絶交、疎遠は数知れず。
会社に入っても、5人以上の会議になると、いつ発言していいか、不安になり、落ち着き無くして、管理職になっても、同僚や部下に舐められてましたね。
そんな事ばかりだから、自分を卑下していました。
でも、コミュ障は、ただの特性、自分の価値とは別物ですよね。
他人を思いやり、言葉にならないコミュニケーションを知るために、また、言葉の練習のために、
明るい黄色のセキセイインコと一緒に暮らし始めました。
るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ あさきよ ふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえ てぬ るふこしむ いろはをと ちり へほあさ きへあ さきよふこむ ねならむうく やまのお ゐよく やま えてぬる ふこしむ いろは を とちり へほあさ きへあ さきよふこむね なら むうく やまのお ゐよくや まえてぬ るふこしむ いろ はをとち りへほ あさき へあさき よふこむね ならむ うく やまのおゐゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ。
こしむ いろ はをとち りへほあさ きへあさき よふこむ ねな らむうく やまのお ゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ あさきよ ふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえ てぬ るふこしむ いろはをと ちり へほあさ きへあ さきよふこむ ねならむうく やまのお ゐよく やま えてぬる ふこしむゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ。
はをとち りへほあさ きへあさき よふこむ ねな らむうく やまのお ゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ あさきよ ふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえ てぬ るふこしむ いろはをと ちり へほあさ きへあ さきよふこむ ねならむうく やまのお ゐよく やま えてぬる ふこしむ いろは を とちり へほあさ きへあ さきよふこむね なら むうく やまのお ゐよくや まえてぬ るふこしむ いろ はをとち りへほ あさき へあさき よふこむね ならむ うく やまのおゐ よくや まえてぬる ふこしむ いろはをと ちりへほあさき へあさき よふこむ ねならむうく やまの おゐよく やまえて ぬるふこしむ いろは をとち りへほあ さきへ あさきよ ふこむね な らむうく やまのおゐ よくやま えてぬ るふこしむ いろ はをとち り へほあさ きへあゐよ くやまえてぬ るふこしむ いろは をと ちりへほあさ きへ。
ゲストブロガー
ウィリアム ハリス