いつでも自由なこと

2025年02月18日

インコさんと別れて1日


たった105日で終わってしまった

インコさんとの暮らし。


今日は、なんとなく体が重く、

イラついていた。


まだ新しいケージが、廃墟のように空虚に見える。


涙を流すというより、信じられなくて、

感情が凍り付いた感じ。


「どうしようか」


こんな時でも、飼い主のお腹は空くし、

眠たくなる。


別れは辛いけど、自分とは違う存在だから、

出会いがあれば、別れもある。

ずっと一緒なのは、自分だけ。


そういう自分の体だって、自分で選んだものではない。


生まれると自分で決めて、生まれたわけではない。物心ついて、生まれている自分に気がつくだけ。


この事実をどう表現するか、これといった言葉が見つからない。


何というか、魂が体に入り込んで、動いている感じ。息絶えると、あの世には、魂が行って、体は残される。


しかし、肉体が選べないように、人生もあらかじめ決まっているのか?

と言ったら、それは違う。

よりよい人生になるように、人生の選択が、できるはず。


では、何を選べるか?


インコさんを亡くして、思うのは、

感情は自由だということ。


「悲しいから、もうペットはいらない」

「105日間、いい思い出だったから、また、飼おう」


どちらも、選択できる自由がある。

同じことが起きても、それをどう捉えて、どのように行動するか、その自由はいつでも与えられている。
 

飼い主のカップをガジッ
飼い主のカップをガジッ